ジョン・K・マケイン(Jhon Kebbin MaKKein、1912年7月12日 - 生死不明)はアメリカ人の元キリスト教司教。釣塔大学の創設者。カトリックの司教でありながらネストリウス派に造詣が深く、密教に深く心酔した。
経歴編集
1912年、アラバマ州の農家の長男として生まれた。幼少期は父親とともに農業に専念するも、15歳の時に教会で司祭に教えを説かれ、次第にキリスト教にのめりこんでいく。17歳の時アラバマ中央神学校に進学、21歳でアラバマ中央神学校を首席で卒業。同時に神学の博士号を取得。24歳で助祭に叙階し、31歳で司祭へと叙階した。37歳で、時の教皇アナリウス11世に司教に任命される。
マケインは42歳の時、道端に落ちていた密教書を見つけ、読みふけるうちに密教に心酔していった。46歳の時日本のカトリックつくば司教区を任され、茨城県に移住する。49歳で密教を教育にふさわしい形に再解釈し、それを主軸とした大学の設立申請を行った。大学名には愛読書であるネストリウス派の福音書の一節から、スワラム語で聖なる使徒という意味である"Choto"という語を大学名としようとするも、文部省の規定により日本国内の大学名は日本語を冠さなくてはならないとの指摘を受け、Cho とTo の音を持った”釣”と”塔”という二文字をもって大学名とし、1962年11月15日、釣塔大学の設立認可となった。
63歳で、司教の職を自ら辞退し、公衆の面前で自慰行為をしてキリスト教から離脱を果たした。
関連項目編集
- 釣塔大学 - マケインの設立した日本の私立大学。
- カトリックつくば司教区 - マケインが任されていた司教区。