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ジョン・K・マケイン

2,216 バイト追加, 2018年8月26日 (日) 09:39
元釣塔大学職員です。
'''ジョン・K・マケイン'''(Jhon Kebbin MaKKein、[[1912年]][[7月12日]]) - )は[[アメリカ人]]の元[[キリスト教]][[司教]]。[[釣塔大学]]の[[創設者]]。[[カトリック]]の司教でありながら[[ネストリウス派]]に造詣が深く、[[密教]]に深く心酔した。

== 経歴 ==
1912年、[[アラバマ州]]の農家の長男として生まれた。幼少期は父親とともに農業に専念するも、15歳の時に[[教会]]で司祭に教えを説かれ、次第にキリスト教にのめりこんでいく。17歳の時[[アラバマ中央神学校]]に進学、21歳でアラバマ中央神学校を首席で卒業。同時に[[神学]]の博士号を取得。24歳で[[助祭]]に[[叙階]]し、31歳で[[司祭]]へと叙階した。37歳で、時の[[教皇]][[アナリウス11世]]に[[司教]]に任命される。

マケインは42歳の時、道端に落ちていた密教書を見つけ、読みふけるうちに密教に心酔していった。46歳の時日本の[[カトリックつくば司教区]]を任され、[[茨城県]]に移住する。49歳で密教を教育にふさわしい形に再解釈し、それを主軸とした大学の設立申請を行った。大学名には愛読書であるネストリウス派の[[福音書]]の一節から、[[スワラム語]]で聖なる[[使徒]]という意味である"Choto"という語を大学名としようとするも、[[文部省]]の規定により日本国内の大学名は日本語を冠さなくてはならないとの指摘を受け、Cho とTo の音を持った”釣”と”塔”という二文字をもって大学名とし、[[1962年]][[11月]][[15日]]、釣塔大学の設立認可となった。

63歳で、司教の職を自ら辞退し、公衆の面前で[[自慰]]行為をしてキリスト教から離脱を果たした。

== 関連項目 ==
*[[釣塔大学]] - マケインの設立した日本の私立大学。
*[[カトリックつくば司教区]] - マケインが任されていた司教区。


{{DEFAULTSORT:まけいん しよん}}

[[Category:日本の教育者]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:日本の司教]]
[[Category:1912年生]]
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